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『ジャック・チャールズvs王冠』6万年の歴史を見つめながら、「明日」を夢見ること

SPAC文芸部 横山義志

オーストラリア現代演劇は、かつてない地殻変動を経験しています。先住民アーティストと先住民プロデューサーたちが、言ってみればほぼ二世紀ぶりに、この大陸の舞台芸術を牽引する状況ができつつあるのです。この状況を30年近くにわたって準備してきたのが、オーストラリアで最も長く活動している先住民劇団イルビジェッリです。「イルビジェッリ」はメルボルンの先住民クリン人(Kulin Nation)の言葉で「一緒にお祭りに行こう」という意味で、1990年に創立されました。『ジャック・チャールズvs王冠』は近年の代表作で、オーストラリアの友人に聞くと必ず「あれはすごい作品だ、ぜひ日本に紹介してほしい」と言われたものでした。「盗まれた世代」(1869年~1969年頃、先住民の子どもを白人家庭や白人が運営する施設で育てて「同化」させる政策の被害者たち)の一人で、幾度も犯罪や薬物に手を染めながら、演技や音楽、陶芸を通じて自己に打ち克ってきたジャック・チャールズは、オーストラリア先住民の苦悩と再生を象徴する存在となっています。この作品については、制作部の林さんによる詳しい紹介がありますので、こちらをご覧ください。
『ジャック・チャールズ vs 王冠』ジャックおじさんの波乱万丈物語(制作部・林)

私の方では、こういった作品が出てくる文脈を、自分が見てきた範囲でご紹介できればと思います。ここ数年、縁あって、毎年のようにオーストラリアを訪れるようになりました。オーストラリアの舞台芸術界は、ちょっと前までは西洋的なものが圧倒的な主流だったのですが、数年の間に状況がずいぶん変わってきました。たとえば、今年のオーストラリア舞台芸術見本市(APAM)では、ほとんどの公演、ほとんどのスピーチの前に、「私たちはこの土地の・・・族の過去・現在・未来の長老たちに敬意を表します」という挨拶が入るようになりました。また、ちょっと前までは、先住民が出演する作品も白人がプロデュースするのがふつうだったのが、近年は先住民自身がプロデューサーとなるケースが増えてきています。昨年、メルボルンで、そんなケースについてのリサーチをする機会がありました。私がはじめて劇団イルビジェッリを率いるレイチェル・マザに出会ったのもそのときでした。

メルボルンの先住民アーティスト・プロデューサーのジェイコブ・ボーム(Jacob Boehme)が立ち上げたイーランボイ・ファースト・ネイションズ・アーツ・フェスティバル(Yirramboi First Nations Arts Festival, Yirramboiはクリン人などの言葉で「明日」)では、作品を作り、プロデュースする枠組み自体を、先住民長老たち(elders)に相談しながらつくっていく試みがなされています。ボームはメルボルン市長とともに、「この地域の6万年の歴史を見つめながら、一緒に「明日」を夢見ていこう」と呼びかけています。

イーランボイ・ファースト・ネーションズ・アーツ・フェスティバル

アボリジナル・フラッグとイーランボイ・フェスティバル(メルボルン)

アボリジナル・フラッグとイーランボイ・フェスティバル(メルボルン)

例えば、映画製作のための助成金申請には、ふつう脚本を提出する必要があります。でも、先住民アーティストは、出会いが大事なのだから、あらかじめ脚本を書いても面白いものはつくれない、といいます。それでも先住民プロデューサーは、その人がすばらしい作品をつくるアーティストであることを知っているので、それを信頼して、脚本なしで助成金が得られるように助成団体を説得することに成功しました。

今ある枠組みでは、演劇、ダンス、音楽、ビジュアルアート等々といったジャンルのそれぞれで、見せる場所もお客さんも違うので、違う形でプロデュースすることになっています。でも、オーストラリア先住民には、そういったジャンルの区別はありません。これらは全て、物語を語るための手段と考えてられています。また、オーストラリア先住民には「ドリームタイム」という概念があるとされています(正確には、そのいくつかの部族の話から西洋人の人類学者が抽出した概念のようですが)。全てのものが生成し、名前がつけられていく時間です。この過程には完成はなく、つねにつづいていきます。だから、作品の完成という概念もありません。すべては常に創造の過程にある、というわけです。でも、これではふつう、プロデューサーは困ります・・・。時間の概念が違うので、スケジュールや予算管理では、いわゆる近代的・西洋的なアプローチとは違う方法をとらなければいけません。

すべてはアーティスト本人と直接の信頼関係を築くことにある、と先住民プロデューサーたちは言います。書類やお金やテクノロジーを媒介とするのではなくて、人と人との関係を築くこと。とにかくこの人なら、最後には何かすばらしいものを見せてくれるはずだと信頼すること。お互いにそれができるようになるには、時間をかけて、真に人間同士の関係を築く必要があります。もちろん、仕事に時間をかけすぎて、家族や友人をおろそかにしてもいけません。でも、アーティストも友人の一人なので、それは切り離せないものだ、というのです。ときには職場に子どもを連れて行って、アーティストたちと一緒に時間を過ごします。

いろいろ話を聞いているうちに、西洋近代が作ってきた「芸術」という枠組みを越えていける可能性がここにあるような気すらしてきました。そして、この動きは、アジアから新たな物の見方、枠組みを提案する際の参考にもなるのではないかと思います。

2014年にアジアン・プロデューサーズ・プラットフォーム(APP)が立ち上がったとき、日本、韓国、台湾、そしてオーストラリアの四カ国/地域のプロデューサーが中心となっていました。なぜそこにオーストラリアが入っているのか、ちょっと不思議に思っていました。でもアジアのあちこちで何度も出会って、仕事ぶりを見ていくなかで、この人たちは本当にアジアでパートナーをつくっていきたいんだ、と感じるようになりました。そして2017年、メルボルンで開かれたアジア舞台芸術トリエンナーレ(Asia TOPA)の機会に、メルボルンでAPPキャンプが開かれ、先住民プロデューサーたちのリサーチに参加したのでした。

ブリスベンで行われた今年のオーストラリア舞台芸術見本市(APAM)では、先住民とアジアに焦点が当てられていました。開催前のプレイベントとして、世界の先住民アーティストと先住民プロデューサーをつなぐ「グローバル・ファースト・ネーションズ・エクスチェンジ(Global First Nations Exchange)」、先住民によるダンスを紹介する「ブラックダンス・プレゼンター・シリーズ(BlakDance Presenter Series)」、そしてアジアのアーティストやプロデューサーを紹介する「パフォーミング・アジア(Performing Asia)」が行われました。開会式は現地の先住民がニュージーランド、グアム、カナダ、米国、チリ、台湾などの先住民を迎える、という形式で、各自が民族儀礼を披露していきました。そして二日目には世界各地の先住民アーティスト20組があちこちでパフォーマンスを行う「オリジナル・ピープルズ・パーティー(The Original Peoples’ Party)」が行われました。

APAM (Australian Performing Arts Market)

閉会式では、先住民アーティストを代表して、劇団イルビジェッリ主宰のレイチェル・マザによるスピーチがありました。ブリスベンでのAPAM開催は今回が最後で、次回からはメルボルンでの開催が決まっています。マザはメルボルンのアーティストの代表でもありました。そしてブリスベンの先住民長老からメルボルンの先住民長老へ(ともに女性でした)、APAM受け渡しの儀式が行われました。ブリスベンの長老は自分の部族の言葉で語ったあと、英語で「2000世代にわたって多様性を尊重する伝統が培われ、育まれてきたこの地に、このように世界の多様な文化を新たに迎え入れることができたことを誇りに思います」と語ります。メルボルンの先住民長老は涙ぐみながら英語で話しはじめ、「私は彼女が自分の部族の言葉で話せるのを本当にうらやましく思いました。私たちの言葉はほとんど失われ、私は今になって、若い者から少しずつ学んでいるのです・・・」と話していました。

一方で、この閉会式では紛糾の一幕もありました。オーストラリア先住民の歌手が、自分の貧しい生い立ちや家族のことを語りはじめ、歌をなかなか歌おうとせず、ついには沈黙して客席を眺めたあと、「これは私の時間だ、話を聞いてくれ。このちょっと先では人々が飢えて死んでいっているんだ!おれには金がいる!金がいるんだ!」と叫びだしました。「オリジナル・ピープルズ・パーティー」に参加し、大きな資金が動くアートマーケットの様子を実際に見てみて、自分が生まれ育ったコミュニティとのギャップに怒りを感じたようです。それを受けて、次に出演したカナダ先住民系のアーティストも、最近殺害された先住民と、処罰を免れた加害者について語りだし、その人々も含めた地球上の多くの霊たちに歌と踊りを捧げることを会場に呼びかけ、参加者の多くが何重にも輪になって踊りだしました。

APAM閉会式でのレイチェル・マザのスピーチ

APAM閉会式でのレイチェル・マザのスピーチ

オーストラリア先住民に市民権が認められたのは1967年、ジャックが24歳のときでした。そして「盗まれた世代」に対して、首相が公式の謝罪をしたのはその40年後の2008年で、ほんの10年前のことに過ぎません。自然を加工する技術を基盤に作られてきた「文明」と、自然に寄り添いながら育まれてきた文化とのあいだの溝は、まだなくなったわけではありません。でも人と人とが見つめ合う、舞台芸術と呼ばれている営みには、きっとその溝を埋め、互いに学び合うことを可能にする力が具わっています。ヨーロッパでつくられた舞台芸術の枠組みやシステムを変えていくには、まだまだ問題が山積みですが、ジャック・チャールズやレイチェル・マザと一緒に、6万年の歴史に学びながら、明日の世界について考えていく機会にできればと思います。

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『ジャック・チャールズ vs 王冠』

演出:レイチェル・マザ
作:ジャック・チャールズ、ジョン・ロメリル
音楽監督:ナイジェル・マクレーン
出演:ジャック・チャールズ、ナイジェル・マクレーン(ギター・ヴァイオリン)、フィル・コリングス(パーカッション)、マルコム・ベヴァリッジ(ベース)
製作:イルビジェッリ・シアター・カンパニー

5月6日(日)13:00開演
静岡芸術劇場
*詳細はこちら 
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