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『シミュレイクラム/私の幻影』日本のフラメンコの歴史

計見さんと共に『シミュレイクラム/私の幻影』を担当しています、制作部の西村です。
この春からSPAC制作部の一員となり、演劇祭ではこちらのダンス作品を担当することになりました。
とはいえ私自身ダンスにはあまり馴染みがなく…。
今回のブログでは、担当するにあたって勉強した日本のフラメンコの歴史を少し紹介します!

日本のフラメンコ人口は、なんと本場・スペインについで2位!
本格的なダンスだけでなく習い事としてなど、幅広い層に人気です。
では、フラメンコは日本にいつ・どのように伝わってきたのでしょうか。

フラメンコは、19世紀にスペインで生まれ、日本に伝わってきたのは20世紀になってから。
スペイン人によるスペイン舞踊の公演は1929年のラ・アルヘンティーナの来日が初でした。
こうした来日公演が、後に日本フラメンコの先駆者となる人物たちに大きな影響を与えました。

本作に出演される小島章司さんも、そうした先駆者のうちの一人です。
小島さんは、“フラメンコ界のレジェンド”と呼ばれる今年78歳の現役フラメンコダンサー。
日本人がフラメンコを習得するためにスペインに行くようになったのは、1960年代に入ってからで、
小島さんも1966年に単身スペインへと旅立ちました。(当時の交通手段は、なんとあのシベリア鉄道!)

留学の翌年早くもプロとしての活動を開始し、1970年のテレビ出演をきっかけにアンダルシア各地の一流タブラオ(*1)やフェスティバルで活躍するようになります。渡西から10年が経ち、故郷である日本に戻った小島さんは、作品を発表するだけでなく、スペインから一流のアルティスタ(*2)を日本に招くということも続けました。また、80年代以降には、日本のフラメンコを本場スペインで公演するという快挙も行われるようになりました。

Simulacrum. Photo credit Martin Flak
▲本作の舞台写真

小島さんは、舞踊家生活50年のインタビューで、未来のフラメンコの担い手に対して以下のように語っています。

“一つのちゃんとしたテーマなり、コンセプトなり、自分の哲学なり、そういうものを大げさではなくアピールできるように、人間の根源的な教養を培ってほしい。そして、それを比較芸術論として、芝居や音楽など、あらゆるジャンルの芸術と比較できるだけの、対等な力と芸術性を養いながら挑戦していただきたい。それが私の願いです。”

こうした意識を持ち、日本のフラメンコの普及と発展に貢献してきた小島さん。本作は小島さんと、アルゼンチン出身のコンテンポラリーダンサー、ダニエル・プロイエットの二人のライフヒストリーからなる作品です。
磨き抜かれたカリスマの身体とその軌跡を、ぜひ劇場でご覧ください!良いお席はお早めに♪

(*1)タブラオ…フラメンコを専門に見せる店のこと
(*2)アルティスタ…アーティストのこと

<参照:パセオフラメンコ2007年11月号>
 
『シミュレイクラム/私の幻影』関連ブログ
(その1)東京での稽古にお邪魔してきました!
(その2)シミュレイクラムってどんな意味?

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『シミュレイクラム/私の幻影』
演出・振付:アラン・ルシアン・オイエン
歌舞伎舞踊振付/音楽『Natsue』:藤間勘十郎
出演・振付:小島章司、ダニエル・プロイエット
製作:ウィンター・ゲスツ
5月3日(木・祝)12:30開演、4日(金・祝)12:30開演
静岡芸術劇場
*詳細はこちら
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