ウェルテル!

© Samuel RUBIO

Program Information

ジャンル/国名 演劇/ドイツ
公演日時 4/28(金)19:00、4/29(土)16:30、
4/30(日)15:30
会場 静岡芸術劇場
上演時間 70分
上演言語/字幕 ドイツ語上演/日本語字幕
座席 全席指定
演出 ニコラス・シュテーマン
© Samuel RUBIO
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作品について

全ては愛しきロッテのために!古典に宿る若き魂の叫びが今に刺さる!

叶わぬ恋に苦悩する若者を描いた書簡体小説『若きウェルテルの悩み』。1774年に刊行されるやヨーロッパを席巻した文豪ゲーテの名作に、ドイツ演劇界をリードするニコラス・シュテーマンが斬新な演出をほどこした。友人に宛てた書簡を自撮りのビデオメッセージに置き換え、若者の心に忍び込んだ「病める妄想」をアップテンポかつ鋭利に映し出す。1997年の初演以来、世界各地で上演1000回を超え、暴走するナルシズムと狂気うずまくグルーヴが多くの観客をとりこにしてきた。古典とあなどるなかれ、悲痛な愛の叫びに、あなたの脈打つハートは撃ち抜かれる!

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大絶賛を浴びた『ファウスト第一部』(ふじのくに⇄せかい演劇祭2014)に続き、2度目のSPAC登場となるニコラス・シュテーマン。本作では、音楽や映像などのメディアを自在に組み合わせる演出により、簡素な舞台から強烈な夢想を生み出している。そして唯一無二のウェルテルを演じるのは、ずば抜けた演技力でテレビや映画などでも活躍する人気俳優フィリップ・ホーホマイアー。たくましい身体から溢れるエネルギーと憂いをふくんだ眼差しに恍惚として魅せられる。多感な青年の心の旋律が反響するワンマンライヴが、演劇祭のオープニングを飾る。

あらすじ

青年ウェルテルは、美しい自然に囲まれながら絵や詩に浸る生活を送っていた。ある日、舞踏会でシャルロッテと出会い、一目で恋に落ちる。彼女に婚約者がいることを知りながらも、清楚で気立てのよいロッテに好意を寄せていく。次第に二人はうちとけるが、激しさ増す愛情を恐れるロッテに、ついに彼は突き放されてしまう。叶わぬ恋に絶望したウェルテルは彼女の元を去り、永遠の別れを決意する。

演出ノート

フィリップ・ホーホマイアー インタビュー
※ル・ドゥボワール紙2007年2月掲載記事より抜粋

―なぜゲーテを、『若きウェルテルの悩み』を取り上げたのでしょうか?

 ゲーテの人生観には、今の私たちにも通じるところがあるからです。そして『ウェルテル』は永遠の物語だからです。ふられて落ち込んでいる人は身のまわりにもたくさんいますよね。今の私たちともすごくつながる話なんです。この話を、若々しく、ダイナミックでリズミカルな形で、ゲーテの原作の本質が観じられるようにお伝えしようとしました。でも原作通りではなく、1時間くらいにまで圧縮してしまいました。

古い大理石の彫像だけがゲーテではありません。ゲーテの言葉は、今でも「なるほど」と思わせる、とても生き生きとしたものです。ゲーテの影響はいたるところに見られます。ですが若者の多くは「古いテクスト」を怖がっているので、ニコラスと私は、ふられた若者のつらさを、若者たちも理解できて、魅力を感じて、引き込まれるような、まるでタランティーノやスコセッシの映画みたいな言葉で語らなければ、という話をしたのです。まずはじめに思いついたのは、古典的な物語を語るための新たなツールとしてビデオカメラを使うことでした。

―ゲーテ、ウェルテル、ロマン主義、でビデオカメラですか…?ちょっとつながりが思いつかないのですが、どういうことですか?

ここですべてをお話ししてしまうわけにはいきませんが、ゲーテの本を持って舞台に登場して、観客の前で、私が少しずつウェルテルになっていくんですね。それで、ゲーテの原作のように手紙のやりとりを通じて物語を語るのではなく、SkypeやインターネットやHotmail、ビデオカメラなど、今使われているコミュニケーションツールを使うのです。この一種のビデオ日記によって、ゲーテが手紙という形態を使って得たのと同じような効果とエネルギーが得られるのです。

すべては思いつきの積みかさねでした。ニコラスは「テレビやビデオやインターネットが人々の生活を変え、演劇も変えてしまったのだ」と言っていました。はじめにビデオを使おうと言い出したのも彼です。それから、ウェルテルの物語、つまり私たちのまわりにいる、恋愛の悩みを抱えている多くの若者たちの物語を語るために、さまざまなツールを使うことになりました。上演するごとに、何か新しいことを試しています。今では、それも私たちのやり方の一部になっています。というか、それこそが私たちのやり方なのです!

―毎回ですか?

いつでも、何か新しい語り方はないか、と試しています。いつも、あまり人がやらない方法で。より普遍的になりつつある言葉、少なくとも若者たちの間ではすでによく語られている言葉に近づけようとしているのです。この作品は奇蹟なのです!もう500回以上(※)演じている私にとってさえ。最初のころは、もっと欲があって、もっと気を張っていました。リズムも、今よりもっと早いものでした。でも今は、私も作品も成熟しました。観客の皆さんが観てくれたおかげで、変化してきたのです。時代は作品を変えましたし、作品も時代を変えるのです…。私がウェルテルを演じるときには(今でも年に30回か40回かはあって、そのたびにスーツケースに小道具を詰めて持ち歩くのですが)、とても楽しく、この世界にすっかり入り込んでしまいます。今ではこの作品は、私たちのやり方のデモンストレーションのようなものにもなっているのです。

翻訳:SPAC文芸部 横山義志
※2007年2月時点での上演回数となります。

演出家プロフィール

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ニコラス・シュテーマン Nicolas STEMANN
1968年ドイツ・ハンブルク生まれ。演出家。大学で哲学・文学・演出を学ぶかたわら、レストランでピアノや歌を披露する。マルチな音楽経験を活かし、作曲の発想で古典から現代戯曲まで次々と演出を手がける。代表作に『ハムレット』(2001年)、シラー作『群盗』(08年)など。11年ベルリン演劇祭で『ファウストⅠ&Ⅱ』を上演し、未来のドイツ演劇の方向性を示す革新的な芸術家に授与される3sat賞を受賞。SPACでも14年『ファウストⅠ』を上演。16年9月には、ノーベル賞作家エルフリーデ・イェリネクが前年1月の「シャルリー・エブド襲撃事件」を題材に発表した新作『Wut(憤慨)』を演出し、センセーションを起こした。

出演者プロフィール

© Ela ANGERER

フィリップ・ホーホマイアー Philipp HOCHMAIR
1973年オーストリア・ウィーン生まれ。俳優。マックス・ラインハルト・ゼミナールとパリ国立高等演劇学校で演技を学ぶ。ウィーン・ブルク劇場(2003-09年)とハンブルク・タリア劇場(09年-)に所属し、舞台俳優として活躍。一人芝居への出演が多く、代表作にゲーテ作『ウェルテル!』(97年)、カフカ作『審判』(10年)、ホフマンスタール作『イェーダーマン』(13年)など。近年ではテレビ・映画界にも活躍の場を広げ、15年にホーホマイアーが主演するテレビドラマが大ヒットしドイツ国内で一躍有名になる。また、同性愛カップルが描かれた映画『Kater(雄猫)』に出演、ベルリン国際映画祭2016でテディ賞を受賞した。

トーク・関連企画など

◎プレトーク:各回、開演25分前より
◎アーティストトーク:4/28(金)・4/30(日)終演後

出演者/スタッフ

演出:ニコラス・シュテーマン
原作:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
出演:フィリップ・ホーホマイアー

製作・ツアー:ローザンヌ・ヴィディ劇場

寄稿

悩みなき人? ――舞台作品『ウェルテル!』についての覚え書き

平田栄一朗

  現代演劇の醍醐味の一つに、色あせた古典作品を斬新な演出や演技によって蘇らせることが挙げられるでしょう。古典は時代を超えた英知や警鐘の宝庫である一方、現代にそぐわない価値観が見え隠れすることがあります。ドイツの古典もまたしかりです。例えばフリードリヒ・シラーの戯曲『群盗』は、理想主義者はあるきっかけから悪党になるという反転の実情を描いた名作ですが、そのきっかけが今から見れば子供だましのような作為であったり、理想や我が身の不幸を嘆く台詞がわざとらしすぎるところがあります。これをそのまま舞台化すると、観客がかえって引いてしまうでしょう。このように長所・短所が混在する古典をどのように舞台化するかが、演劇人の腕の見せ所となるのです。演技や演出の工夫によって、短所が新しい魅力になったり、長所をさらに引き延ばして、古典の魅力を新たに引き出すことができます。
 ニコラス・シュテーマンが演出し、フィリップ・ホーホマイアーが単独で演じる『ウェルテル!』は、古典を大胆に塗り替えた現代演劇の面目躍如といえます。まず原作を確認してみましょう。原作はヴォルフガング・ゲーテが25歳のときに発表した書簡体小説『若きウェルテルの悩み』(1774年)です。ウェルテルは青い燕尾服と黄色いヴェストを纏う変わり者だが、社会の旧弊への批判精神に富み、自然との一体感を望む青年で、法律家になるために故郷を出て別の街に移り住む。その地で知り合ったシャルロッテという女性に一目惚れし、たちまち夢中になるが、彼女にはアルベルトという婚約者がいる。実らぬ恋に打ちひしがれるなか、当地の有力者の会から爪はじきにされ、拳銃で自ら命を絶つ。自死は認めないという教会の方針ゆえ、弔いに牧師が参列せず、ウェルテルは死んでも世間から認められないままとなる。
 市民階級、すなわち一般の男性が恋と社会的地位に挫折し、自死を選ぶ物語を描いた原作は、封建的な社会の重苦しさのなかで大きな反響を呼び起こし、いわゆる後追い自殺がヨーロッパで社会現象となりました。しかし現在の視点からみると、疑念が沸いてくるのも確かです。小さな町で社会的立場を失い、恋に破れたとしても、若くて知的で、さらに情熱的なウェルテルならきっと再出発が可能ではないか。絶望の心境は理解できるが、死ななくてもよかったのではないかという疑念は否めないでしょう。現代では個々人が主体的に生きることが(体裁上)当たり前になった以上、ウェルテルの苦悩は必ずしも苦悩ではなくなったのです。
 シュテーマンとホーホマイアーのコンビによる『ウェルテル!』を見ると、このような疑念が解消されていることがわかるでしょう。「苦悩」の文字を外したタイトルから察せられるように、ウェルテルの問題は一般的な意味での苦悩ではないのです。この舞台がおそらく観客に投げかけている問いは、次のようなものかもしれません。人は本当は死ななくてもよかったのに、自死を選んでしまったとしたら、そこにはどんな問題が潜んでいるのか。その問題は、演出に見られるような現代社会に特有なものだろうか、それとも普遍的なものなのだろうか。自らを死に追い込むほどの無気力と破壊力は矛盾するのだろうか、それとも同じ次元にあるのだろうか。
 このような問い掛けは、舞台作品を見る向きによっては異なってくるかもしれませんし、ひょっとしたら的外れであるかもしれません。少なくとも私が2009年にハノーファーの小さな劇場で同舞台作品を見たときに、これらの問いが沸いてきたものでした。この小舞台では、ウェルテル役のホーホマイアーが日記を読み、語り、演じるだけで、ほかの人物は登場しません。にも関わらず、同舞台作品は原作の素晴らしさを活かし、古臭さをかき消す説得力で多くの観客を魅了していました。現代演劇が古典を大胆に塗り替える可能性が、この舞台作品でも証明されたわけです。その詳細は……私がさらに語る必要などないようです。是非舞台をご覧になり、ご自身で確認してください。


<筆者プロフィール>
平田栄一朗 HIRATA Eiichiro
演劇学・ドイツ演劇研究。慶應義塾大学文学部教授。著書に『ドラマトゥルク』、『在と不在のパラドックス――日欧の現代演劇論』、『Theater in Japan』(共編著)など。訳書に『パフォーマンスの美学』、『ポストドラマ演劇』(どちらも共訳)など。

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