画:岩渕竜子
ジャンル | 音楽劇 |
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公演日時 | 4/24(土)18:00・25(日)18:00 |
会場 | 駿府城公園 東御門前広場 特設会場 |
上演時間 | 120分 |
上演言語/字幕 | 日本語上演/日本語字幕 |
座席 | 全席自由 |
演出 | ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ |
製作 | SPAC-静岡県舞台芸術センター |
時代を超えて大きな影響力を持つブレヒトの代表作『三文オペラ』。貧民街を舞台に、主人公のギャングが悪徳起業家の娘との結婚をめぐり、騙しだまされ追い詰められて…待ち受けるのは大どんでん返しのハッピーエンド?!社会への痛烈な風刺に満ちた物語が大岡淳(SPAC文芸部)の翻訳により七五調やラップも飛び出す現代日本語に落とし込まれ、イタリア演劇界を代表する演出家で大作オペラも多く手掛けるジョルジオ・バルベリオ・コルセッティは、これを陽気な笑いでときほぐす。クルト・ヴァイルの名曲の数々も、観客の心をつかんで離さない。東京芸術祭2018にて、様々なバックグラウンドを持つ俳優たちによって上演された野外劇が、「静岡版」として駿府城公園の広場にお目見え。欲望、権力、格差…そこに放り出された社会の不条理を怒るも笑うもあなた次第。
舞台はロンドンの貧民街。“ニセ”乞食たちを取り仕切る起業家ピーチャムの娘ポリーは、色男の犯罪王マックヒースとひと目惚れで結婚してしまう。二人を別れさせようと躍起になるピーチャムは、スパイを送りこんだり、警官を脅したり、あの手この手で迫りくる。とうとう逮捕されたマックヒースは絞首台へと送られてしまい…
ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ Giorgio Barberio CORSETTI
演出家、劇作家、俳優。1951年ローマ生まれ。いち早く舞台作品に映像を取り入れ、街中を歩く俳優のあとを観客が追っていく演出など、70年代より前衛的な作品を数々発表。1999年、ベネチア・ビエンナーレ演劇部門の芸術監督に就任。2001年に、自身の劇団をカフカにちなんで「ファットーレ・K」と名づけた。2014年、アヴィニョン演劇祭オープニング作品として『ホンブルクの公子』を法王庁中庭で上演。そのほか、ミラノ・スカラ座など欧州の主要な劇場で、オペラ演出も数多く手がけている。日本では、SCOTサマー・シーズン2008と2009に参加したほか、近年は2016年に、東京文化会館で上演されたゲルギエフ指揮によるマリインスキー・オペラ『ドン・カルロ』を演出。
演出:ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ
作:ベルトルト・ブレヒト
音楽:クルト・ヴァイル
訳:大岡淳(『三文オペラ』共和国刊)
音楽監督・編曲:原田敬子
衣裳デザイン:澤田石和寛
メディアディレクション:イーゴル・レンツェッティ、ロレンツォ・ブルーノ
【出演(登場順)】
ジョナサン・ジェレマイア・ピーチャム 廣川三憲
フィルチ/イード 山崎皓司
シーリア・ピーチャム 葛たか喜代
ジャラ銭のマサイアス 宮下泰幸
マックヒース 後藤英樹
ポリー・ピーチャム 森山冬子
曲がり指のジェーコブ 小長谷勝彦
のこぎりのロバート/警官 綾田將一
ジミー/スミス 沼田星麻
しなしなのウォルター/警官 菊沢将憲
ブラウン 柳内佑介
酒場のジェニー/娼婦 榊原有美
酒場のジェニー/娼婦 鈴木真理子
酒場のジェニー/娼婦 篠原和美
演奏:
ピアノ 廻由美子
シンセサイザー 阿部大樹(アコーディオンパート)、 田中一結
指揮、打楽器 原田敬子
【スタッフ】
舞台監督:渡部景介
演出補:中野真希
演出助手:守山真利恵
演出部:杉山悠里、森部璃音、土屋克紀
照明デザイン:大迫浩二
照明操作:花輪有紀
照明:水野ヒカル、加藤悦子
音響デザイン:牧嶋康司(SCアライアンス)
音響:道山朋美(SCアライアンス)、和田匡史、大朏実莉
美術:深沢襟、佐藤洋輔、吉田裕梨
映像:竹澤朗
衣裳:天野泰葉
衣裳制作:高林健二
ヘア:須田理恵、結城藍、中野愛、杉野加奈、高橋円
メイクアップ:茂手木智哉、清水美帆、今井友子
ワードローブ:清千草、佐藤里瀬、牧野紗歩
衣裳協力:加藤友美、小笠原吉恵
衣裳デザイン助手: 切金実紀
歌唱指導:フランツ奈緒子
通訳:石川若枝
技術監督:村松厚志
照明統括:樋口正幸
音響統括:澤田百希乃
シアタークルー(ボランティア):平塚敬子、藤田泰史、松浦康政、宮原順子
制作:計見葵、久我晴子、北堀瑠香、坂中季樹
芸術総監督:宮城聰
芸術局長:成島洋子
制作部主任:大石多佳子
音響:株式会社エス・シー・アライアンス
電源:株式会社三光
照明:株式会社アス
会場設営:アートユニオン株式会社
舞台照明機材提供:丸茂電機株式会社
楽器協力:静岡県立静岡西高等学校
初演:東京芸術祭2018
製作:SPAC-静岡県舞台芸術センター
令和3年度 文化庁 国際文化芸術発信拠点形成事業
ふじのくに芸術祭共催
◎未就学児との入場はご遠慮ください。
◎背もたれのない客席になります。
◎雨天でも上演いたします。客席では傘をご利用いただけませんので、雨ガッパなどをお持ちください。夕方以降は冷え込みますので、防寒着をご用意ください。
大岡 淳
共に新進気鋭と目されていた劇作家ベルトルト・ブレヒトと作曲家クルト・ヴァイルがタッグを組んで、出世作『三文オペラ』を世に放ったのは1928年、ヴァイマル共和国時代のドイツ・ベルリンでのこと。今から振り返ればナチス台頭前夜、この年既にナチ党はミュンヘン一揆鎮圧(1923)から再建を果たし、アドルフ・ヒトラーが党内独裁を確立、国会議員選挙では12人が当選した。そして翌年には世界恐慌が起き、これが10年の後、第二次大戦開戦に帰結することになる。
1928年――未だドイツは「黄金の20年代」と形容される好景気に湧いていたが、光あるところ闇あり、貧困やら売春やら麻薬やら、都市の退廃も際立っていた。その一方でヴァイマル文化の華が咲いたわけだが、ただその中身たるや、新即物主義、ダダイズム、十二音技法などなど、暗い光と呼ぶべきか輝く闇と呼ぶべきか、第一次大戦の大量死の経験を前提として「人間性」を棄却するモダニズムへと歩を進めた、前衛的・実験的なものが顕著であり、光と闇は既に混交していた。こうした前衛芸術・実験芸術は、のちにナチスによって「退廃芸術」の烙印を押され弾圧されることになるが、そのようなナチスの姿勢は、闇を撲滅する光、狂気を駆逐する正気、迷妄を打破する啓蒙こそが、むしろ闇・狂気・迷妄に転ずる逆説を示している(のちにアドルノ/ホルクハイマーが剔抉する「啓蒙の弁証法」というやつだ)。
話を戻すと、1920年代においてブレヒト/ヴァイルの視線は、都市の闇――野卑で猥雑な大衆文化に注がれており、ふたりともキャバレーの芸能から多くを吸収していたが、その結果生まれた『三文オペラ』が興行的に成功を収めたのは、闇が光へと転じた事例と言えるかもしれない。すったもんだを繰り返しながら初日にこぎつけた『三文オペラ』が、古典として後世に名を残すなんて、拙訳本(『三文オペラ』共和国)の解説でミュージシャン大熊ワタル氏が指摘した通り、当事者たちの誰一人として予想していなかっただろう。
「オペラ」と銘打ちながら、舞台上には泥棒や貧民や売春婦や悪徳警官が闊歩し、彼ら無名の大衆が下品で猥褻で不道徳な言動を繰り出し、都市の闇を噴出させる『三文オペラ』は、およそオペラらしからぬ音楽劇、いわばパロディ・オペラであった。「異化効果」がブレヒトの方法論として確立するのはもう少し後のことだが、本気とも冗談ともつかぬ展開によって観客を挑発する作劇術は、まさしく「異化」の萌芽であった。負けじとヴァイルも、「不正を追及するな」というふざけたメッセージを、壮麗なバッハ風コラールによって謳い上げる。そして、シッフバウアーダム劇場(のちのベルリナー・アンサンブル)という「成金趣味の建物」(岩淵達治『《三文オペラ》を読む』岩波書店)に集い、形式と内容、音楽と物語の両面から挑発されたブルジョア観客が、憤慨するどころか喝采をもって応じることになるとは、これまたブレヒト/ヴァイルの予想を裏切る、皮肉な展開ではあっただろう。かくまでも20年代ドイツでは、闇が光へ転じ、光が闇へ転じる価値転倒が常態化していた。そして、そのような価値転倒の果てに、ヒトラーが政権を掌握し、ファシズムが暴威をふるう中、ブレヒト/ヴァイルは亡命を強いられることになる……。
拙訳について付言しておこう。まず歌詞について、先の大熊氏は、拙訳本の中でこう評してくれている――「今回の大岡訳の画期的なところは、ソングの歌詞が限りなく生きた言葉として、そのままメロディーにはまるように考えられているところだ。意味が成り立つだけでなく、サウンドとしての聞こえ方まで原曲に近いのは凄い。これぞ『超訳』!」。例えば、戦場における人肉食を得意気に歌う「大砲ソング」の最後は、ドイツ語では「ビーフステーク! タルタル~」であるが、拙訳では「食っちまう! ガツガツ~」といった具合だ。そして台詞については、現代口語と七五調を意図的に混在させ、いうなれば“架空都市エド”をイメージして翻訳した。スラング頻出の卑俗さと詩的表現の流麗さを混在させ、“架空都市ロンドン”を現出させた趣のあるブレヒトのテキストを、日本語に移し替えるための工夫である。私としては、劇作家としての蓄積を全て叩き込んだつもりである。
さて、今から御覧いただく『野外劇 三文オペラ』は、拙訳を使用した初めての公演であり、東京芸術祭2018において、池袋西口公園で上演され好評を博したものである。今回、再演にあたりキャストは一部変更され、演出も一新されている。コルセッティさんが海の向こうからどんな演出を施し、出演者たちがこれにどう応えるか――静岡の地で再生する『野外劇 三文オペラ』に、期待は高まるばかりである。
<筆者プロフィール>
大岡 淳 OOKA Jun
演出家・劇作家・批評家。1970年兵庫県生まれ。現在、SPAC-静岡県舞台芸術センター文芸部スタッフ、静岡県文化プログラム県域プログラムディレクター、静岡大学非常勤講師。編著に『21世紀のマダム・エドワルダ』(光文社)、訳著にベルトルト・ブレヒト『三文オペラ』(共和国)がある。