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宮城聰より演劇祭中止にあたって

 わたしたちSPACは、わたしたちの周りに「演劇を必要としている」人たちがいることをひしひしと感じています。
 人生を豊かに生きるためには必要だ、という人がいて、また、それがないと水を失った植物のように精神がひからびてしまうという人もいます。
 そのような方々にとって、演劇は精神の栄養であり、魂の水です。
 わたしたちはつねに、演劇を必要としている方がひとりでもいるうちは演劇を届け続けなければならないと考えてきました。そして今回の危機が人々をいっそう孤立させるなか、その必要はますますふくらんでいると感じていたのです。

 しかし今、わたしたちSPACは、今年の演劇祭の中止を決断いたしました。すべての海外演目の渡航が不可能になってもSPACの作品だけは上演する、と考えてきましたが、その砦も放棄することに決めました。
 それは、今、俳優が集まって演劇の稽古をすることが、わたしたちの周りの人たちの身体的危険を増やす可能性がある、と判断したからです。

 演劇、舞台芸術のもっとも基本的な定義は「生身の人と人が向き合うこと」です。いま生きているヒトのからだが全身から発している膨大な情報を、なるべくたくさん交換し合うことです。
 だから演劇をつくっている者たちにとって、稽古場に集まることを断念するということは、自分の根を土から引き抜いてしまうことです。栄養も水も絶たれることです。

 しかし今、そうするしかないと判断を下しました。そして、観客の皆さんと、SPACのわたしたちが、ともに「演劇を必要としているのに、演劇を絶たれた」者となりました。わたしたちは皆さんに演劇を届けることができなくなりました。

 そこでこれからは、「演劇を絶たれた状態で、どうやって生き延びるか」を、皆さんとともに発明しようと思います。
 俳優はもはや稽古場ではなく、各自の部屋にいます。これほど物理的に切り離された状態で、わたしたちは何ができるでしょうか?でも何かできなければなりません。絶望に沈まず、せかいと繋がり続けるために。精神を枯らさないために。今をもちこたえるために。
 地球のあちこちで、やはり演劇を失ってなお耐えている、おおぜいの孤独な魂と連帯するために。

 いまのいま必要な、演劇みたいな何か、を、きっとみつけて、お届けします。

2020年4月3日
宮城 聰

静岡県知事・川勝平太より演劇祭中止にあたって

残念ながら、今年の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」は中止となりました。
しかし、演劇は人の心をつなぐチカラを発揮するものです。人と人が切り離されて孤独になっているいま、観客は劇場には集まれませんが、SPAC からは日々メッセージを発信していきます。皆さんも、心と心をつなぐために、ぜひアクセスしてみてください。
2020年4月3日
静岡県知事・川勝平太

『寛容』2020.2.14

寛容

 いま、どうにも気がかりなことがあります。
「今年、オリパラが終わったら、世の中が一気に“狭量”になってゆくのではないか??」
狭量な世の中、つまり「自分たちの価値観からハズれている」ものをやたらに叩く世の中です。
 「狭量」の反対語と言ってもいい「多様性」という言葉が流行語のように広まるとは、数年前までは想像できませんでした。そこには、パラリンピックのおかげ、がかなり働いたように思います。もちろん、多様性を嫌う発言やその後ろにある古臭い空気に対して、きちんと声を上げて批判した人たちの努力のおかげもあるでしょう。
 でも僕が心配なのは、こうして「多様性」という言葉が「おもてだって否定できないこと」として流通してゆくいっぽうで、本当に「多様性」を楽しみ、「多様性」で人生が豊かになったと感じている人はちっとも増えていないんじゃないか、という点です。
 そして「おもてだって否定できないこと」としての「多様性の尊重」がマスコミなどで目立てば目立つほどに、「むしろ自分たち“普通派”は誰からも尊重されていないじゃないか」という不遇感が人々の中で膨らんでゆくような気がするのです。
僕は、人間がみな「自分より弱いものを見つけていじめようとする生き物」だとは思いません。不遇感が膨らんでも、そのはけ口として弱者や少数者を攻撃することはためらわれるものだと思います。
 けれど、もし相手が「強者」なら、そのためらいは不要になりますよね。つまり相手が強者あるいは「勝ち組」だということにしてしまえば、良心の歯止めは機能しなくなります。
 「自分は尊重されてない」と感じていると、相手が(たとえ数の上では少数であっても)「マスコミで取り上げられている」という理由だけでじゅうぶん「強者」に見えてきます。

 “普通派”の所得が徐々に減っているのは先進国に共通した状況のようです。一部の人に集中する所得をうまく再分配してほしいと思いますが、ちっとも進みません。そういう中で不遇感を解決するのは容易なことではありませんね。
 ここはひとつ、「日本全体」のスケールで考えるのではなく、もっと狭い「一地域」での解決を探ったらどうだろうかと僕は思います。所得の再分配は日本全体の課題ですが、「幸せの再分配」なら地域で取り組めると思うからです。
 人が幸せを感じる要素は、富(とみ)だけではありませんよね。「前より貧乏になった」と感じていれば子供を産もうと思わなくなりますが、「前より幸せになった」と感じたら、あるいは「生きていて楽しい」と感じたら、そういう世界になら新たな生命を送り出してもいいと思えてくるのではないでしょうか。
 富(とみ)以外で人が「幸せ」を感じる機会を、なるべく平等に、つまり貧富にかかわらず、提供すること。それが出来た地域は、きっと(狭量ではなく)寛容な地域となるでしょう。日本の中で珍しくギスギスしていない、そんな地域には、きっと住民も増えるでしょう。そして生まれる子供も増えるのでは?
 劇場も演劇祭も、「幸せの再分配」に寄与できると僕は思っています。

宮城 聰

宮城聰(SPAC芸術総監督)

© 新良太

宮城 聰 MIYAGI Satoshi
1959年東京生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京大学で小田島雄志・渡邊守章・日高八郎各師から演劇論を学び、90年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出で国内外から高い評価を得る。2007年4月SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を鋭く切り取った作品を次々と招聘、またアウトリーチにも力を注ぎ「世界を見る窓」としての劇場運営をおこなっている。17年『アンティゴネ』をフランス・アヴィニョン演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演、アジアの演劇がオープニングに選ばれたのは同演劇祭史上初めてのことであり、その作品世界は大きな反響を呼んだ。他の代表作に『王女メデイア』『マハーバーラタ』『ペール・ギュント』など。04年第3回朝日舞台芸術賞受賞。05年第2回アサヒビール芸術賞受賞。18年平成29年度第68回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。19年4月フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受賞。

ふじのくに⇄せかい演劇祭とは

SPAC‐静岡県舞台芸術センターでは、1999 年に開催された世界の舞台芸術の祭典「第2 回シアター・オリンピックス」の成功を受けて、2000 年より「Shizuoka 春の芸術祭」を毎年行い、各国から優れた舞台芸術作品を招聘・紹介してきました。SPACが活動15年目を迎えた2011年からは、名称を「ふじのくに⇄せかい演劇祭」と改め、新たなスタートを切りました。
「ふじのくに⇄せかい演劇祭」という名称には、「ふじのくに(静岡県)と世界は演劇を通して、ダイレクトに繋がっている」というメッセージが込められています。静岡県の文化政策である「ふじのくに芸術回廊」と連携しながら、世界最先端の演劇はもちろん、ダンス、映像、音楽、優れた古典芸能などを招聘し、静岡で世界中のアーティストが出会い、交流する――そんなダイナミックな「ふじのくにと世界の交流(ふじのくに⇄せかい)」を理念としています。

SPAC-静岡県舞台芸術センター

静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center : SPAC)は、専用の劇場や稽古場を拠点として、俳優、舞台技術・制作スタッフが活動を行う日本で初めての公立文化事業集団であり、舞台芸術作品の創造・上演とともに、優れた舞台芸術の紹介や舞台芸術家の育成を事業目的とする。1997 年から初代芸術総監督鈴木忠志のもとで本格的な活動を開始。2007 年より宮城聰が芸術総監督に就任し、さらに発展させている。演劇の創造、上演、招聘活動以外にも、教育機関としての公共劇場のあり方を重視し、中高生鑑賞事業公演や人材育成事業、アウトリーチ活動などを続けている。2013年8月には、全国知事会第6回先進政策創造会議により、静岡県のSPAC への取り組みが「先進政策大賞」に選出された。

お問い合わせ

SPAC-静岡県舞台芸術センター
〒422-8019 静岡県静岡市駿河区東静岡2丁目3-1
TEL:054-203-5730 FAX:054-203-5732
E-mail:mail@spac.or.jp

主催:SPAC-静岡県舞台芸術センター
助成:令和元年度文化庁国際文化芸術発信拠点形成事業
ふじのくに芸術祭共催事業

文化庁 静岡県文化プログラム beyond2020 ふじのくに芸術回廊 GOOD DESIGN AWARD
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