民衆の敵

© Arno DECLAIR

Program Information

ジャンル/都市名 演劇/ベルリン
公演日時 4/29(日)19:00、4/30(月・祝)14:30
会場 静岡芸術劇場
上演時間 150分
上演言語/字幕 ドイツ語上演/日本語字幕
座席 全席指定
演出 トーマス・オスターマイアー
製作 ベルリン・シャウビューネ
© Arno DECLAIR
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作品について

ドイツ演劇界最大のスター、オスターマイアー13年ぶり待望の来日!

1999年に31歳の若さでベルリン・シャウビューネの芸術監督に就任し、ドイツ演劇界に大きな変革をもたらした演出家、トーマス・オスターマイアー。世界の演劇シーンに影響を与え続ける彼が2012年のアヴィニョン演劇祭で発表した『民衆の敵』は、初演されるや世界的なセンセーションを巻き起こし、世界30都市以上で上演された。オスターマイアーの来日は実に13年ぶり、凄みのある演出を存分に味わうことができる代表作が、待望の日本初演を迎える。とある温泉町に起きた公害、その告発に揺るぎない正義を貫く医師と、町の経済を守りたい政治家やマスコミとの対立、そして「民衆」という存在の危うさ。ヘンリック・イプセンの社会劇が、アクチュアルな問題作として立ち上がる。

社会正義とは何か?イプセンの社会劇は対岸の火事ではない。

原作は近代演劇の父と言われるイプセンにより1882年に発表された。イプセンはその3年前(1879年)に発表した『人形の家』で世界的な名声を獲得する一方、伝統的な道徳観を打ち壊す作風が社会批判を強め、『民衆の敵』はその非難に真っ向から反論した戯曲でもある。公害問題、経済優先の政治・社会システムにおける正義の所在など、そのテーマは驚くほど今日的だ。オスターマイアーの演出は、シャウビューネの名優たちによる軽妙なやり取りやコンパクトに展開する現代的な美術で観客を惹きつけるだけでなく、更に踏み込み観客にも主観的・主体的な思考を迫る。クライマックスとなる町民集会の演説シーン、観客はその聴衆として舞台に取り込まれ、医師や町長の意見の狭間で否応がなく自らの態度を問われる。他人事ではいられない演劇体験がここに待ち受けている。

あらすじ

温泉保養地としてにぎわう田舎町。医師トーマスは、その源泉が工場排水で汚染され危険な状態にあることを突き止める。町長に対処を求めるが、施設を改修すれば莫大な費用がかかり町は破綻すると拒否される。トーマスは新聞社や反町長派の協力を得て事実を表沙汰にしようとするが、彼らも改修にかかる町の負担を知ると掌を返す。孤立したトーマスは、町民集会を開き、人々の理性と善意に訴えるのだが…

演出家からのビデオメッセージ

演出家プロフィール

© Brigitte LACOMBE

トーマス・オスターマイアー Thomas OSTERMEIER
1968年西ドイツ生まれ。演出家。演劇学校在学中から演出家として頭角を現し、卒業と同時に96年よりドイツ座の小スペース「バラック」の運営を任される。1999年、31歳の若さでドイツを代表する劇場ベルリン・シャウビューネの芸術監督に就任。古典から同時代作家の尖鋭的な作品まで幅広く手掛け、その多くは毎年世界各地の演劇祭や劇場に招聘されている。日本では2005年にイプセン原作 『ノラ』(『人形の家』)、 マイエンブルク作 『火の顔』が上演され大きな注目を集めた。シャウビューネでの近年の演出作に、トーマス・マン&グスタフ・マーラーによる『ヴェニスに死す/亡き子をしのぶ歌』(13年)、リリアン・ヘルマン作『子狐たち』(14年)、シェイクスピア作『リチャード三世』(15年)、ヤスミナ・レザ作『ベラ・フィギュラ』(15年)、シュニッツラー作『ベルンハルディ教授』(16年)、ディディエ・エリボン原作『ランスへの帰還』(17年)など。

作家プロフィール

ヘンリック・イプセン Henrik IBSEN (1828~1906)
南ノルウェーに生まれる。ベルゲンの国民劇場の舞台監督兼座付き作者を経てノルウェー劇場監督および劇作家として『恋の喜劇』『僣王たち』を書く。ドイツとイタリアで28年間過ごし、その間に『ブラン』(1866)や『ペール・ギュント』(1867)の二つの大作を完成させ、名声を得た。1879年に発表された『人形の家』は最初の近代社会劇として世界的な反響を巻き起こした後、『幽霊』(1881)、『民衆の敵』(1882)などの傑作を立て続けに発表し、近代劇の第一人者となった。

トーク

◎プレトーク:各回、開演25分前より

◎トーク 『民衆の敵』と民主主義
 4/30(月・祝)12:00-13:00
 静岡芸術劇場 カフェ・シンデレラ
 ゲスト:トーマス・オスタ―マイアー
 司会:横山義志(SPAC文芸部)
 *詳細はこちら

出演者/スタッフ

演出:トーマス・オスターマイアー
作:ヘンリック・イプセン
出演:クリストフ・ガヴェンダ、コンラート・ジンガー、エファ・メクバッハ、レナート・シュッフ、ダーヴィト・ルーラント、モーリッツ・ゴットヴァルト、トーマス・バーディンク

舞台美術:ヤン・パッペルバウム
衣裳:ニナ・ヴェッツェル
音楽:マルテ・ベッケンバッハ、ダニエル・フライターク
ドラマトゥルク:フロリアン・ボルヒマイアー
照明:エーリッヒ・シュナイダー
壁画:カタリーナ・ツィームケ

製作:ベルリン・シャウビューネ 
特別協力:ゲーテ・インスティトゥート 東京ドイツ文化センター GOETHE INSTITUT

SPACスタッフ
舞台監督:村松厚志
舞台:佐藤洋輔、降矢一美、平尾早希
照明:樋口正幸、花輪有紀、久松夕香、滝井モモコ
音響:山﨑智美、加藤久直、澤田百希乃
ワードローブ:川合玲子
通訳:黒田容子、美濃部遊
字幕翻訳:石見舟
制作:米山淳一、太田垣悠
シアタークルー(ボランティア):長島菜美子、野秋昴太、八十濱喜久子

技術監督:村松厚志
照明統括:樋口正幸
音響統括:加藤久直

支援:平成三〇年度 文化庁 国際文化芸術発信拠点形成事業 文化庁 beyond2020

寄稿

オスターマイアーの仕掛けたもの

新野 守広

  イプセン原作『民衆の敵』には、私たち自身の社会の危うさが描かれている。ノルウェーの片田舎に暮らす一家の父親が、町の世論に異議を唱えたために住民から糾弾され、石を投げつけられて追われる。こうした迫害の根にある社会の分断はたびたび見聞きすることではないだろうか。有力者に操作された多数派が一丸となって少数者を敵視し、家族もろとも排除しにかかるポピュリズムの恐怖は、原作が書かれた1882年も現在も変わることがない。観劇後の思いは今の日本に向かう。
 ベルリン・シャウビューネ劇場の芸術監督オスターマイアーの演出する『民衆の敵』は、原作が描く19世紀末北欧の小さな港町ではなく、世界中の豊かな都市で起こる現代の出来事に見える。黒地の壁には、グラフィティ(落書きアート)を思わせる絵、図像、文字が描かれている。若者たちが登場し、料理を作り、赤ん坊を育て、楽器を弾き、エアDJをやる様子は、まるでシェアハウスのようだ。彼らはデヴィッド・ボウイの『チェンジス』やサバイバーの『アイ・オブ・ザ・タイガー』(『ロッキー3』テーマ曲)などの、1970/80年代にヒットしたメロディーを歌う。過ぎ去った20世紀をさまざまなバージョンで反復しつつ消費する21世紀都市文化の特徴が巧みにとらえられている。
 オスターマイアーがシャウビューネ劇場でイプセンを取り上げるのは、これが3作目であるという。前2作の『ノラ』と『ヘッダ・ガブラー』は、現代の富裕層に属する人々の破滅を描く家庭劇として演出され、評判になった。豊かな夫婦が人間関係のもつれや軋轢のために破滅する姿を通して、いまだに根強い男女格差や階級差などの社会問題が浮き彫りにされた。これに対して今回の『民衆の敵』では、「社会」が前面に躍り出る。環境汚染や社会正義に敏感な市民(ストックマン家の人々)と経済効率優先の論理で動く政済界(市長[オスターマイアー演出では市議]や印刷所オーナーら)が対立し、倫理なきメディア(新聞)が対立の帰趨を睨んで画策する。しかも市長とストックマンは実の兄弟なのだ。よくできた社会派ドラマであり、最後まで飽きることはない。
 とくに集会の場面は迫力がある。なにしろ当日の観客を集会参加者に見立てての大演説、否が応でも臨場感は高まる。そのストックマンの演説自体も興味深い。彼は熱弁を振るって文明の死、個人の孤立化、過度の相互依存といった現代資本主義社会の病を告発するが、これは『来るべき反乱(L’Insurrection qui vient)』というエッセイからとられている。2007年にフランスで発表され、反乱に際して武器の必要性が強調されていたため仏当局に押収されたが、ネットを通して拡がり、英語やドイツ語をはじめ複数の言語でも出版された資本主義批判のテキストである。開演直前に投影される文章もこれをもとにしている。
 集会の場面以外にも、さまざまな個所が書き換えられた。原作の登場人物のうち幾人かは舞台に現れない。そればかりか、複数の人物が1人にまとめられていることもある(たとえば娘ペトラはストックマン夫人に合体)。翻案作業は、文芸批評家であり映画監督でもあるドラマトゥルクのフローリアン・ボルヒマイアーのアイディアによるところが大きいだろう。こうして、個人に同調圧力をかける共同体に全力で抵抗するストックマンの叫びが、民主主義の機能不全をまざまざと見せつけられている現代の私たちの不安と怒りに共振することとなった。
 ドイツの劇場は社会的に余裕のある人々のアートセンターと化す傾向にある。リベラルでアート好きな高学歴層の牙城シャウビューネにあって、オスターマイアーは近作『ランスへの帰還』で哲学者エリボン(『フーコー伝』著者)を取り上げ、労働者階級出身者から見た社会民主主義の失敗を舞台化した。自らも労働者階級の出自を明らかにしたオスターマイアーの演出で、130年以上も前に愚昧な民主政の横暴を呪詛したイプセンの叫びは、原作の骨格を残しながらも、現代の風俗や言葉遣い、資本主義批判を付加され、社会批判劇としてよみがえった。ストックマンの渾身の演説を聴けば、私たちはわが身を振り返り、世界に対して発言したくなるにちがいない。


<筆者プロフィール>
新野 守広 NIINO Morihiro
ドイツ語圏の演劇の翻訳・研究に携わる。著書に『演劇都市ベルリン』、『知ってほしい国ドイツ』。訳書に『ポストドラマ演劇』(共訳)、『最後の炎』、『ガウク自伝』など。第2回小田島雄志・翻訳戯曲賞受賞。立教大学教授。

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