歓喜のうた)

© Luca Del Pia

Program Information

ジャンル/都市名 演劇/モデナ
公演日時 5/5(日・祝)13:00、5/6(月・休)13:00
会場 静岡芸術劇場
上演時間 100分
上演言語/字幕 イタリア語上演/日本語・英語字幕
座席 全席指定
構成・演出 ピッポ・デルボーノ
製作 エミーリア・ロマーニャ演劇財団
© Luca Del Pia
© Luca Del Pia
© Luca Del Pia

作品について

どんなに苦しい人生の道のりにも、幸せの花は咲く

劇空間を生む詩人、また映画人として、ヨーロッパでも特筆されるアーティスト、ピッポ・デルボーノ。これは彼が、それぞれに困難を抱えるかけがえのないパートナーたちと、20年以上にわたり共に歩んできた道程の振り返りであり、最後のランドマークである。何もない空間を満たす詩の言葉、不思議な人々、サーカスのパレード、そしてベルギーの巨匠ティエリ・ブテミのデザインによる喜びの花々。孤独と狂気に囚われた男の心を、暖かな光が徐々に解きほぐしていく。明滅の中に投げ込まれたイメージの数々は、まるでフェリーニの映画を見ているかのように、観客の記憶やささやかな幸福を呼び覚ます。迷うことは何もない。そこに幸せの花は咲いているのだから。

あらすじ

舞台に生えた一輪の花。男が水をやると、それは花畑のように広がっていく。闇、一人の男が語りだす。かけがえのない仲間たちのことを、そして孤独と狂気に苦しみ檻に囚われる自分のことを。おびただしい衣服、整然と床に並べられる紙の船。明滅の中で女は踊り続け、男は喜びを求め絶叫する――。やがて暖かな光が差し、華が咲き始める。

演出家プロフィール

ピッポ・デルボーノ Pippo DELBONO
1959年イタリア・ヴァラッツェ生まれ。演出家、劇作家、俳優。80年代にピッポ・デルボーノ・カンパニーを立ち上げ、87年に『暗殺者の時』を発表、ヨーロッパや南米を中心に300回に渡り上演を重ねる。90年にはピナ・バウシュとのコラボレーションも行なう。97年、アヴェルサ精神病院で行ったワークショップをもとに、障害者、ホームレスの人々と『浮浪者たち』を制作。以後このメンバーの多くが劇団の一員として活動を続ける。人間の生を鋭く見つめ詩的に描く作品で高く評価され、アヴィニョン演劇祭、ウィーン芸術週間、ヴェネツィア・ビエンナーレ等で上演。2018年秋にはパリ・ポンピドゥーセンターで回顧展が行われた。静岡では07年『戦争』と『沈黙』、17年『六月物語』を上演。

トーク

◎プレトーク:各回、開演25分前より
◎アーティストトーク:5/6(月・休)終演後

出演者/スタッフ

構成・演出:ピッポ・デルボーノ
花構成:ティエリ・ブテミ
音楽:ピッポ・デルボーノ、アントワーヌ・バタイユ、ニコラ・トスカーノ ほか

出演:ドリー・アルベルティン、ジャンルーカ・バッラレー、マルゲリータ・クレメンテ、ピッポ・デルボーノ、イラーリア・ディスタンテ、シモーネ・ゴッジャーノ、マーリオ・イントルーリオ、ジャンニ・パレンティ、ペペ・ロブレード、グラーツィア・スピネッラ

声の出演:ボボー

照明デザイン:オルランド・ボロニェージ
音響:ピエートロ・ティレッラ
衣裳:エレーナ・ジャンパオーリ
美術・小道具:ジャンルーカ・ボッラ

プロダクション・マネージャー:アレッサンドラ・ヴィナンティ
制作:シールヴィア・カッサネッリ
技術監督:ファービオ・サージズ

協力:エンリーコ・バニョーリ、ジャン・ミシェル・リブス、
   アレッシア・グイドボーニ(ティエリ・ブテミ助手)、リエージュ劇場(衣装協力)

製作:エミーリア・ロマーニャ演劇財団 Emilia Romagna Teatro Fondazione
共同製作:リエージュ劇場 Théâtre de Liège、 ル・マネージュ – モブージュ国立舞台 Le Manege Maubeuge – Scene Nationale

<SPACスタッフ>
舞台監督:村松厚志、内野彰子
舞台:渡部景介、降矢一美、守山真利恵、菊地もなみ、杉山悠里
照明:樋口正幸、久松夕香、花輪有紀、島田千尋
音響:右田聡一郎、牧大介
ワードローブ:高橋佳也子
通訳:石川若枝
字幕翻訳:古賀浩
制作:中尾栄治、入江恭平、太田垣悠
シアタークルー(ボランティア):八十濱喜久子

技術監督:村松厚志
照明統括:樋口正幸
音響統括:右田聡一郎

助成:文化庁 国際文化芸術発信拠点形成事業

注意事項

◎静岡芸術劇場には、未就学児と一緒にご観劇いただける親子室がございます(先着3名様)。未就学児との観劇をご希望の方は、お問い合わせください。
◎一部、ストロボによる激しい点滅や喫煙シーンがあります。

寄稿

身体の詩人-ボボーを悼む

芦沢みどり

 この原稿の依頼を受けたとき、ピッポ・デルボーノ・カンパニーの中心的な俳優だったボボーが亡くなったことを知った。そして今回の公演のタイトルが『歓喜の詩』だということも。
 ボボーを観たのはたった一度だけ。Shizuoka春の芸術祭2007の舞台で、そのとき彼はすでに老人だった。聾唖者にして小頭症の小柄なパフォーマー。それがボボーだ。あれから12年が過ぎ、彼も80を超えたのだから、天寿を全うしたと言っていいのだろう。でもピッポ・デルボーノにとって小さなボボーがどれほど大きな存在であったか―SPACの舞台を観てネット上のインタビューをあらまし読んだ者としては、彼の喪失感は察するに余りある。観客の一人でしかないわたしは、ボボーの舞台を観ることができたことを幸運だったと、そう思う。
 2007年の6月、カンパニーは『戦争―Guerra』と『沈黙―Il Silenzio』の2つの演目を持って6月の静岡にやって来た。公演案内の写真を見て、もしかしたら今までに観たこともないような演劇が観られるのではないかと思い、2作品が1日で観劇できる日を選んで静岡へ行った。で、この勘は当たった。ここで言わでものことを急いで付け加えておくと、ピッポ・デルボーノはこのあと2009年に、欧州委員会が主催するヨーロッパ演劇賞(Europe Theatre Prize)を受賞した。演劇の新しい地平を拓いた演劇人に贈られる賞で、過去にはムヌーシュキン、ピーター・ブルック、ピナ・バウシュ、ハロルド・ピンターなどなど・・・演劇の革新に目ざましい活躍をした人々が選ばれている。
 話を2007年に戻そう。
 静岡芸術劇場で上演された『戦争』は、争い事の極限状況に巻き込まれた人間のさまざまな姿を描いたスペクタクル的パフォーマンスで、ホメロスの『オデュッセイア』から想を得ている。舞台にはダンサーや俳優のほか、ボボーやダウン症児のジャンルーカ(『歓喜の詩』に出演予定)、両脚が完全に麻痺した松葉杖のパフォーマーや、白塗りのストリートパフォーマーらが登場し、時空を問わずさまざまな争いで傷ついた人間身体の表象を差し出してみせた。こう書くと何やら異様で悪趣味に聞こえるかもしれないが、実際は知的な刺激に満ちた力強い舞台なのだ。デルボーノはこれらのパフォーマーを誇らしく「身体の詩人」という美しい言葉で呼んでいる。作品が『オデュッセイア』から発想されているといってもそれは、登場人物たちがオデュッセウスのように、戦のなかで愛と恐れに翻弄されて自分を見失うという原作のエッセンスを抽出しているのであって、ストーリーがなぞられるわけではない。身振り、たたずまい、表情、ダンス、音楽、色彩などを駆使したセリフのない場面が次々と現れ、その合間を縫うようにマイク片手にデルボーノが、文字通り舞台に飛び出して来てテクスト引用をする。引用されるのはチェ・ゲバラや仏陀、古今東西の詩や箴言で、これらの言葉の断片が舞台上の身体表現に根源的な意味を与え、そこに時空を超えた戦争、革命、宗教的争いの世界が立ち現れて来る。冒頭のシーンでボボーはヒロシマの原爆で亡くなった人々をはじめ、過去の戦争で亡くなったすべての人々に花束を手向けた。舞台奥から大きな花束を抱えてゆっくり前に進み出て来た小柄なボボーの、穏やかで威厳に満ちた姿が今も目に焼きついている。
 もう一つの『沈黙』は野外劇場の有度で夜に上演された。その日はあいにく午後から雨が降り出し、開演まじかになっても雨は止むどころか遠雷まで聞こえて来る始末。降り止まない雨の中、スタッフから渡された雨合羽を着ての観劇となった。1968年にシチリア島で起きた地震である村が壊滅し、大勢の人が犠牲になった。震災後、被災地は白いセメントで覆われ、そこで毎年フェスティバルが催されるという。この作品もさまざまな場面のコラージュとデルボーノのテクスト引用で構成されていて、死から再生への過程を辿る祝祭的な舞台だった。色彩豊かな遊び心に満ちた舞台は堪能したけれど、祝祭劇なのだから雨ではなく六月の夜風に吹かれながら観たかった、とその時は思った。でも時が経つにつれて、ある場面がくっきりと脳裏に刻まれていることに気づいた。それはボボーがカフェでコーヒーを飲むシーンで、彼はコップに溜まった雨水を悠然と地面に捨てたのだ。誰がこんなことをするだろう。にもかかわらず、舞台に亀裂は生じなかった。
 ボボーはそういう俳優だった。


<筆者プロフィール>
芦沢みどり ASHIZAWA Midori
現代英米戯曲翻訳家。これまでの舞台上演作品にマーチン・マクドナーの『リーナン三部作』、ニコラス・ライトの『クレシダ』など。演劇集団円所属。

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