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劇評コンクール(ふじのくに⇄せかい演劇祭2016)

あなたの演劇批評をお寄せください!

批評することも「演劇活動」のひとつです。
皆様のご応募をお待ちしています!

対象作品は、「ふじのくに⇆せかい演劇祭2016」で上演される以下の7作品です。
イナバとナバホの白兎   ●三代目、りちゃあど  ●少女と悪魔と風車小屋
ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ  ●火傷するほど独り
It’s Dark Outside おうちにかえろう      ●アリス、ナイトメア

ご投稿いただいた劇評をSPAC文芸部(大澤真幸、大岡淳、横山義志)が審査し、選評を公開いたします。

最優秀賞 賞金3万円 SPACの公演に1回2名様ご招待
優秀賞 賞金1万円  SPACの公演に1回1名様ご招待
入選 SPACの公演に1回1名様ご招待
最優秀賞、優秀賞、入選作品はSPAC公式サイトに掲載します。

募集要項
◎ 字数:2,000字程度
◎締切:批評対象の舞台を観劇後10日以内
◎投稿方法:E-mail、またはFAX、郵送(封書)でお送りください。
E-mailの場合は件名欄に、FAXの場合は1ページ目の冒頭に、
郵送の場合は封筒の表書きに、「劇評コンクール」と必ずお書きください。

E-mail:mail@spac.or.jp  FAX:054-203-5732
住所:〒422-8005静岡市駿河区池田79-4 SPAC劇評係
※原稿には住所、氏名(ペンネームの方は本名・ペンネーム両方)、
電話番号・E-mail等複数の連絡先、観劇日を明記してください。

SPAC文芸部
大澤真幸(おおさわ・まさち)……社会学者。著書に『不可能性の時代』(岩波新書)等多数。
大岡淳(おおおか・じゅん)……演出家、劇作家、批評家、パフォーマー。
横山義志(よこやま・よしじ)……西洋演劇研究。2008年パリ第10大学博士号取得。

 

批評って何?批評なんて必要?というあなたへ
なぜ演劇を批評するのか

大岡淳(SPAC文芸部)

 私の場合、批評というものに影響を受けた原点は、80年代にある。例えば、浅田彰『逃走論』が猫十字社のマンガ『黒のもんもん組』に言及していたことは、中学生の私にとってちょっとした事件だった。こういう作品をさらりと取り上げてみせる知性が登場したことの新鮮さは、中学生にも感じられた。また、吉本隆明が『マス・イメージ論』で高野文子のマンガ『絶対安全剃刀』を高く評価していたことにも、大した目利きがいるものだと感心させられた。栗本慎一郎は『鉄の処女』の中で、花田清輝の芸術批評は、「最終的に俺は左翼なんだぜ」というポーズさえとっていればインテリはサブカルチャーを扱っても構わないという、高踏的な姿勢にとどまっていると批判しており、そういう当人は『ビックリハウス』誌上で糸井重里と連載を持ったりして、栗本の存在自体がじゅうぶんにサブカルチャーだった。四方田犬彦は、林達夫の芸術批評はなるほど脱領域的ではあるが、演劇的な”質”を評価するにとどまっており、映画的な”量”の氾濫から目をそむけていると批判していた。いずれにせよ、知識人が余技でサブカルチャーを論ずる時代は終わり、むしろサブカルチャーの直中にこそ、論ずるに値する何かが存在するという予感が、「ニュー・アカデミズム」を中心とした、ニュータイプの知識人たちを突き動かしていた。

 演劇批評の中で最も共感したのは、川本三郎の仕事である。サブカルチャー全般が活況を呈する中で、小劇場演劇は――今思えば「演劇バブル」と言いたくなるほどに――高揚していた。高度化した消費社会に対するアイロニカルな自己批評を意図した演劇作品群は、必然的に入れ子構造のような「難解」なスタイルをとりがちだったため、そのエッセンスをわかりやすく解説してくれる川本の批評は、中学時代の私には貴重な存在だった。野田秀樹や鴻上尚史はもちろんのこと、北村想、生田萬、如月小春、渡辺えり子(現・渡辺えり)らの作品が、同時代の音楽・美術・映画・マンガ・文学と同列に論じられ、情報社会化や消費社会化が進展する中で、ディスコミュニケーションに陥った〈個〉がふわふわと浮遊し、浅田彰の言を借りれば「ノリつつシラケ、シラケつつノル」、「微熱都市」なる絶妙なフレーズへと総括された。演劇を始めとするサブカルチャーの批評を通して、同時代の精神を把握し、自分自身の立ち位置をも測定することができたのは、川本三郎のおかげであった。

 高校時代に入ると、柄谷行人や蓮實重彦の批評に影響を受けるようになった。文学が近代的な「内面」を人々に植えつける制度的な機能を果たしたことを批判する柄谷の批評も、「凡庸」な物語の中に見出される「愚鈍」な描写を肯定する蓮實の批評も、文学や映画を批評することが、そのまま、近代国家のメカニズムを批判的に捉え返すことにつながる、と教えてくれた。芸術批評は単に芸術のためになされるのではなく、個人と社会との関係を変革するためになされるということを、彼らの批評から学んだのである。

 かくして私は、大学在学中に演劇批評を書き始めた。それは、演劇を知らない人たちに演劇の魅力を伝えると同時に、その演劇作品を媒介として、私たちが何を考えるべきかを訴えたかったからである。格好つけて言えば、坑道のカナリアの鳴き声から危険を察知し、人々に警告を発する仕事をしてみたいと考えたのだ。つまるところ批評とは、作品を社会全体の動向と接続させ、その作品が示唆している、この社会が向かうべき未来を顕在化=言語化させる営為なのだろう。以上から、観客であるあなたが、単なる観客であることを超え、社会全体へメッセージを発する方法――それが演劇批評である。ひとりでも多くの皆さんが、演劇批評に挑戦することを期待してやまない。

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