© Erik BERG
ジャンル/都市名 | ダンス/オスロ |
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公演日時 | 5/3(木・祝)12:30、5/4(金・祝)12:30 |
会場 | 静岡芸術劇場 |
上演時間 | 120分(途中休憩含む) |
上演言語/字幕 | 英語、スペイン語上演/日本語字幕 |
座席 | 全席指定 |
演出・振付 | アラン・ルシアン・オイエン |
製作 | ウィンター・ゲスツ |
78歳となった今も圧倒的なエネルギーを放ち続ける小島章司と、抜群の身体性を持つアルゼンチン出身のコンテンポラリーダンサー、ダニエル・プロイエット。小島は日本から単身スペインに渡りフラメンコを極め、かたやヨーロッパの一線で活躍するプロイエットは日本で女形の歌舞伎舞踊を習得する。二人がたどったダンスの軌跡、そして「シミュレーション=模倣」から生まれる踊りの真実性が、観る者のアイデンティティーや記憶にも深い問いを投げかける。演出は、今年6月にピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団で新作を手掛けるノルウェーの新鋭、アラン・ルシアン・オイエン。静謐な美と饒舌な光のなかで、小島というカリスマの身体がひときわ輝きを放つ。
ノルウェーの先鋭的な芸術家集団「ウィンター・ゲスツ」で、長年創作を共にしてきたオイエンとプロイエット。二人は、フランス人哲学者ボードリヤールの「シミュラークル/模像の循環のみによって存在する」という思想を元にした新作を構想し、伝統舞踊における伝承、中でも日本の歌舞伎に着目し、プロイエットは藤間勘十郎氏に歌舞伎舞踊の手ほどきを受ける。そして彼は日本でフラメンコダンサーの小島章司と運命的な出会いを果たす。舞台では、小島が人生をかけたフラメンコを踏み、プロイエットは小島の亡き母の化身として女形歌舞伎舞踊を舞う。心震わせるダンスと演劇の融合、2016年にオスロで初演され、米仏での巡演を経て日本初演を迎える。
アラン・ルシアン・オイエン Alan LUCIEN ØYEN
作家・演出家・振付家。劇場の衣裳係だった父の影響で幼少期から演劇に触れる。ノルウェー国立コンテンポラリーダンスカンパニー、カルト・ブランシュでダンサーとしてキャリアをスタートし、2006年に俳優・ダンサー・作家・デザイナー等からなるウィンター・ゲスツを設立。その尖鋭的な作品は、国際的にも注目を集めており、今年6月にピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団で新作を発表予定。
小島章司 KOJIMA Shoji
1939年徳島県生まれ。武蔵野音楽大学声楽科在学中にフラメンコと出会う。66年にスペインへ渡り、国立舞踊団等で活躍。76年の帰国後は独創的な作品を次々と発表し、2003年の紫綬褒章、09年のスペイン文民功労勲章エンコミエンダ章をはじめ国内外で数々の勲章を授与されている。SPACでは13年にソロ作品『生と死のあわいを生きて ―フェデリコの魂に捧げる―』を上演し絶賛された。
ダニエル・プロイエット
アルゼンチン生まれ。国内外のバレエ団で活躍し、2003年から3年間カルト・ブランシュに所属し、注目を集めた。その後フリーのダンサー・振付家として国際的な活動を展開する一方、藤間勘十郎より女形の歌舞伎舞踊を習得する。世界的な振付家ラッセル・マフィアントによる彼のためのソロ作品『AfterLight』(09年)は、オリヴィエ賞にノミネートされた。
◎アーティストトーク:5/3(木・祝)終演後
演出・振付:アラン・ルシアン・オイエン
歌舞伎舞踊振付/音楽『Natsue』:藤間勘十郎
出演・振付:小島章司、ダニエル・プロイエット
ギター:ペペ・マジャ 〝マローテ〟
カンテ:マヌエル・デ・ラ・マレーナ
台本: アンドリュー・ウェイル
舞台美術デザイン:アスムンド・ファラバーグ、アンディー・カバトルタ
照明デザイン:マーティン・フラック
音響デザイン:グンナル・インヴァール
日本舞踊指導 宗家藤間流師範 藤間綾
宗家藤間流師範 藤間あかね
通訳・字幕翻訳:池上由依子
製作:ウィンター・ゲスツ
SPACスタッフ
舞台監督:村松厚志
舞台:佐藤洋輔、降矢一美、平尾早希
照明:樋口正幸、花輪有紀、久松夕香、滝井モモコ
音響:山﨑智美、加藤久直、澤田百希乃
ワードローブ:駒井友美子、川合玲子
通訳:相磯展子
字幕操作:金森小百合
制作:計見葵、西村藍
シアタークルー(ボランティア):増井典代、荻原なな
技術監督:村松厚志
照明統括:樋口正幸
音響統括:加藤久直
特別協力:ノルウェー大使館
後援:スペイン大使館
支援:平成三〇年度 文化庁 国際文化芸術発信拠点形成事業
山野 博大
※作品の内容に言及する箇所がございますので事前情報なしに観劇を希望される方はご観劇後にお読みになる事をお勧めいたします。
SPACが開催する〈ふじのくに⇄せかい演劇祭2018〉で上演されるアラン・ルシアン・オイエン演出・振付の『シミュレイクラム/私の幻影』は、2016年にオスロで初演されたもの。この作品には、日本人フラメンコダンサーの第一人者、小島章司とアルゼンチン生まれのコンテンポラリー・ダンサー、ダニエル・プロイエットが登場する。小島とダニエルの偶然の出会いが、この作品の発端となったということだ。新しい舞踊の在り方を構想していたダニエルは日本の伝統芸能である歌舞伎に着目して、藤間勘十郎から日本舞踊の手ほどきを受け、女形としての舞の手ぶりなどを身につけていた。
小島は徳島県生まれ。はじめは音楽家を志し、上京して武蔵野音楽大学声楽科に入ったが、彼の興味は早い時期から舞踊に移り、27歳でスペインに留学しトマス・デ・マドリー、エンリケ・エル・コホに師事する。そして1967年にスペイン国立舞踊団に入団する。小島はその直後に行われた同団のソ連ツアーの一員に加えられるが、それは彼の技術が当時すでに向こうでも無視できないほどのものになっていたことの証しだ。当時、日本人がスペインでスペイン舞踊をやるなどということは、スペイン生まれの歌舞伎役者が日本の舞台に立つようなもので、まったくありえないことと思われていた。しかし小島は、スペインでスペイン舞踊をスペイン人に教えるまでに技を磨き、今でも向こうで行われるスペイン舞踊の大きなフェスティバルのゲストになり、現地の舞踊団に振付を提供するほどの実力を保持している。
四国出身の彼は、阿波踊りという大衆芸能に親しんで成長した。彼はそんな日本の民族芸能の楽しさ、スケールの大きさを熟知していた。その上、彼の生まれたところは、江戸後期に各地で流行した「よしこの節」の影響を色濃く残す土地だった。京風の踊りの持つ優しい雰囲気に親近感を覚えると、彼から聞いたことがある。そんな環境が彼のスペイン舞踊と微妙な化学反応を起こし、彼の踊りがスペインの人たちに新たな魅力と受け取られるようになったのだろう。小島が日本人でありながらスペイン舞踊に傾倒し、大きな舞踊的成果をあげたことが、日本で藤間勘十郎に師事し、新たな世界を模索するダニエルに、何かのヒントを与えたようだ。
この2人を結びつける舞台は、このところ国際的に実力を評価され、6月にはピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団で新作を発表するというアラン・ルシアン・オイエンの手に任された。彼は、小島が単身スペインを目指したところから語り始める。舞台に木製の巨大な長方形の箱を置き、それをさまざまに操作して観客にメッセージを送り出す。箱から衣装や小道具を取り出したり、スクリーンをせり出してそこに移動する風景を映し、列車の窓をかすめ去る眺めを再現してみたり…。
シベリヤ経由の汽車に乗ってスペインへ向かう小島の姿があった。それにダニエルの日本舞踊がからむ。彼は箱から着物を出し、それを手早く身につけて踊り、小島の母親の「幻影」となった。藤間勘十郎から習った日本女性のしぐさは、かつて小島の母親が日本舞踊をやっていたことをスペインへ向かう車窓の彼に思い起させるものだった。小島とダニエルは気軽に会話を交わし、それぞれの踊りを披露しあった。小島のしみじみと心に響くフラメンコの次に、ダニエルのしなやかなコンテンポラリーと日本舞踊が続いた。第2幕は日本舞踊の所作台が置かれた舞台。そこに振袖姿のダニエルがいた。三味線と長唄に合わせて本格的に女形を舞う。その最後のところに小島が登場する。彼はまったく動くことなく、ただ立っているだけで確かな緊張感をみなぎらせた。
小島は、2013年にも静岡芸術劇場で『生と死のあわいを生きて~フェデリコの魂に捧げる~』を踊っている。これは1936年のスペイン内戦の犠牲になった詩人、劇作家のフェデリコ・ガルーシア・ロルカに捧げられたものだった。そして今回は、異文化のぶつかり合いの中から生まれる新しい可能性を模索する作品に共演した。長い時間をかけて伝えられた踊りを、別の世界に住む者にどのように伝え、それをどう展開して行くのかという問題に関わり、ダニエルの作り出した母親の幻影に真っ向から対峙することで、彼ならではのフラメンコダンサーとしての存在感を示した。
<筆者プロフィール>
山野 博大 YAMANO Hakudai
1936年、東京下町に生まれる。1956年より舞踊批評を専門誌等に書き始める。文化庁等の舞踊関係専門委員を歴任。各地の舞踊コンクールの審査、各種舞踊賞の選考に関わる。編著『踊るひとにきく』(三元社)。