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サウサン・ブーハーレドと『アリス』のこと (横山義志)

SPAC文芸部 横山義志

今年の演劇祭ではサウサン・ブーハーレド、ワジディ・ムアワッドと、レバノン出身のアーティストが二人もいる。昨年はサウサンの兄、イサーム・ブーハーレドの『ベイルートでゴドーを待ちながら』を上演した。大陸代表といっているのに(実際、毎年国外から呼べるのはせいぜいそれくらいの数になる)、ちょっとバランスが悪いような気すらする。なぜレバノンなのか。

一つは、今の世界が抱えている矛盾を集約しているような国だからかも知れない。レバノンはシリアとイスラエルに囲まれ、イスラム教徒とキリスト教徒の人口が拮抗している。そのうえ、イスラム教・キリスト教あわせて18あまりの宗派が分立し、それにアラブ、フェニキア、シリア、アルメニア等々の大小様々な民族主義、資本主義・社会主義・共産主義等々のイデオロギーが複雑に絡み合い、宗派や民族やイデオロギーにもとづく様々な政党が毎年のように集合離散を繰り返し、はたから見ていると何と何が対立しているのかすらよく分からない状況になっている(レバノン人もよく「自分は生まれたときから住んでいても理解できないのに、外国人に理解できるわけないだろう」なんて言ったりする)。

レバノン山地は、かつてはシリアの一部だったが、中東の宗教的マイノリティの一種の避難場所として機能してきた。そしてフランス・シリア戦争(1920年)で勝利したフランスは、親フランス的なキリスト教徒が比較的多いこの地方をシリアから分離させた。そのため、中東で唯一キリスト教徒が半数近くを占める国が生まれることになった。だが、パレスチナ人の流入によって宗教間の人口バランスが大きく変わり、1970年代から内戦がつづいた。だが対立の構図があまりに複雑なので、どう国境を引き直したところで、うまい解決が見つかるとも思えない。そもそも国家とは何なのか、ということを考えざるを得ない状況がそこにある。

もう一つはもちろん、演劇文化が豊だということがある。とりわけ大学レベルの演劇教育が充実している。サウサンもベイルートの名門校、聖ジョゼフ大学の演劇科で教えている。だが問題なのは、いくら演劇を学んでも、レバノンでは上演できる場所がかなり限られているということだ。イサームが芸術監督をしていたベイルート劇場は、ベイルート演劇界で長年に渡って重要な役割を果たしてきたが、好立地のため建物が買収されてしまい、閉鎖された。他にいくつか重要な小劇場はあるが、それほど多くはない。演劇活動への公的支援はほとんどなく、多くの演劇人はテレビや映画や大学などで稼ぐか、あるいは国外の資金で活動することになる。この『アリス』もエジプトのカイロで初演され、ベイルート公演ののち、パリなどヨーロッパ各地で上演されてきた。

「不思議の国」を訪れたアリスは、大きくなったり小さくなったりする。この『アリス』も、ちょっとそんな作品だ。サウサンによれば、アーティストが活動できるスペースが物理的にも心理的にも年々小さくなっていく状況のなかで、どうすれば創造活動をつづけていけるのか、ということを考えてこの作品を作ったという。私はドイツの演劇祭でこの作品を観たが、コンクリート打ちっ放しの寒くて殺風景なスタジオで、ベッド一つだけの舞台装置から豊かなイメージが広がっていくのに驚かされた。親密な内部をのぞき込むような、ちょっと見てはいけないものをのぞき見てしまうような作品。とりわけ女性の観客から圧倒的な支持を得ていた。爆笑の連続だったイサームの『ベイルートでゴドーを待ちながら』に対して、その妹がこれだけ対照的な作品を作っているのも、なんだか不思議だった。

日本では、劇場の数はレバノンに比べれば圧倒的に多いが、それに見合うだけ表現の幅が大きくなっているかというと、ちょっと確信がない。物理的なスペースだけでなく、私たちの心のなかのスペースも、もうちょっと大事にした方がいいのかも知れない。

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日本初演
『アリス、ナイトメア』
作・演出・出演 サウサン・ブーハーレド
5/6(金)~8(日)
舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」
☆公演の詳細はこちら
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