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オン・ケンセンと『三代目、りちゃあど』(横山義志)

SPAC文芸部 横山義志

今年2月から3月にかけてフィリピン、インドネシア、マレーシアと東南アジア三カ国を回っていたが、そのときに重宝したのが、この『三代目、りちゃあど』だった。自己紹介のために「ふじのくに⇄せかい演劇祭」のチラシを見せると、はじめは反応が薄いが、『りちゃあど』のところでオン・ケンセンの顔を見つけると、「お、オン・ケンセンと作品を作るのか!おお、ヤヤン・ヌールも出るのか!」と、急に一目置かれるようになる。2014年からシンガポール国際芸術祭の芸術監督をしていることもあるが、それで有名になったというよりも、むしろシンガポールのナショナル・アーツ・カウンシルがオン・ケンセンの絶大な知名度もあてにして依頼したといったところだろう。ヨーロッパでもアメリカ大陸でも、東南アジア出身でこれほど知られている演出家は他に見当たらない。

それは日本でも同様で、オン・ケンセンはとりわけ6カ国から出演者を集め、7カ国で上演された『リア』(岸田理生作、1997年初演)以来、毎年のように来日している。この作品には能楽師で静岡文化芸術大学教授でもある梅若猶彦さんも出演なさっていて、梅若さんを主演にした『夢見るリア』(2012年初演)はニューヨークやパリでも上演された。2012年の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」では『キリング・フィールドを越えて』(2001年初演)を上演。クメール・ルージュによる虐殺を生き延びた(「10分の1世代」といわれる)カンボジアの王立舞踊団のダンサーたちが、ポル・ポト時代の長い沈黙のあと、次代に自らの芸を伝えていく様子を、その当事者たちに演じてもらうドキュメンタリー演劇だった。主演のエン・ティアイさんは当時80歳。これを楕円堂で見られたことは、本当に忘れがたい経験だった。

『キリング・フィールドを越えて』
http://spac.or.jp/f12killingfield.html

もう一つ、パリの国立ダンスセンターで見た『牛乳の大海のほとりに座ってそれを飲み干そうとする猫のように』(2006)も記憶に残る作品だった。暗闇のなかに、ブノワ・ラシャンブル(カナダの俳優で演出家)の筋骨隆々たる背中が浮かび上がってくる。『ラーマーヤナ』で描かれている洞窟のなかでの猿神と悪魔との戦いが、強烈な身体性と官能的な息づかいをもって語られていく。

『牛乳の大海のほとりに座ってそれを飲み干そうとする猫のように』
http://www.theatreworks.org.sg/international/benoit/index.htm

ケンセンがアジアの演劇界をリードする演出家になった背景の一つには、リチャード・シェクナー(1934~)との出会いがあるだろう。ケンセンは1993年にニューヨーク大学修士課程に留学し、シェクナーが開設したばかりのパフォーマンス・スタディーズ科で学んだ。シェクナーは「パフォーマンス・グループ」(「ウースター・グループ」の前身)を率いる演出家としても知られていて、ヨーロッパ中心の演劇観とは異なる演劇をつくるために、世界各地の伝統芸能や儀礼の研究を進めていた。2月にマニラでフィリピン文化センター(フィリピンを代表する国立劇場)の芸術監督クリス・ミリヤードにお会いしたが、彼はシェクナー門下でケンセンの一年後輩にあたる。クリス・ミリヤードは「わざわざアメリカまで行って、ニューヨークのユダヤ人から、うちの近所のバリ島の伝統芸能について教えられたんだよ」と笑いながら話していた。

『三代目、りちゃあど』の稽古がバリ島ではじまったのには、20世紀演劇史から見れば、こんな文脈がある。フランスの演出家アントナン・アルトー(1896-1948)がバリの演劇に触発されて「残酷演劇」を提唱し、それがシェクナーに影響を与え、さらにシンガポールの演出家がその影響下で、いわば(広い意味では)「地元」の芸能文化を素材にして作品をつくっていくことになったわけだ。

オン・ケンセンの凄味は、その信じられないようなフットワークの軽さと、強烈な眼力にある。ヨーロッパでもアジアでも日本でも、ふと気がつくとケンセンがいて、大きな背を丸めて「ハロー!」と近寄ってくる。そして面白い人を見つければ、何人だろうがつかまえて、いつの間にか自分のペースにのせてしまう。こういう演出家が、自国だけでは何も完結しえないシンガポールという国から出たのも、ある種の必然のような気もする。

ケンセンが各地の伝統芸能に惹かれたのは、そもそも1965年に独立したシンガポールには「伝統」と呼べるものが少ないからだろう。演劇祭の記者会見で宮城さんが「ケンセンさんはもはや母国語という神話から逃れているというか、母国語という強迫観念からも逃れ、自由になって作品を上演されようとしている。そのことに驚きと刺激を受けます」と話していたが、シンガポールの公用語は英語、マレー語、中国語、タミル語の四つで、英語を母語とする方も多い。この多文化主義こそがシンガポールの「伝統」だともいえるかも知れない。

今年はシェイクスピア没後400年にあたる。今回上演される野田秀樹作『三代目、りちゃあど』では、『リチャード三世』を悪人として描いたシェイクスピアが裁かれることになる。昨年開設された「シンガポール国際商事裁判所」を想起させる設定。シンガポールがアジア経済のハブとしての地位を確立するために、シンガポールとは直接関係のない二国間・多国間の取引も扱うことができる裁判所をつくったわけだが、それ以前から、シンガポールは国際的な取引仲裁の実績を積んできている。シンガポールの国民的歌手ディック・リーのヒット曲『マッド・チャイナマン』(1989)はこんな歌詞だった。「マッド・チャイナマンは自分の人生の東側も西側もあてにしている。(それでも)マッド・チャイナマンはどちらが正しいのか見極めようとする。」アジア各国から選び抜かれた俳優とともに、西と東のあいだ、北と南のあいだをどう裁いていくのか。静岡芸術劇場での初日が楽しみだ。

Richard Sandaime
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野田秀樹 作  国際共同制作
『三代目、りちゃあど』
作:野田秀樹 演出:オン・ケンセン
4/29(金・祝)~5/1(日) 
静岡芸術劇場
☆公演の詳細はこちら
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