文芸部 横山義志
トーマス・オスターマイアーとはここ10年近く、毎年のように出会い、毎年のように作品を観てきて、何度も「次は静岡で」という話をしてきたので、ようやく実現できて、ちょっと感慨深いです。
オスターマイアーはアヴィニョン演劇祭で毎年のように作品を発表しています。ドイツ国外で最もよく知られたドイツの演出家の一人でしょう。でも、日本で作品を紹介するのは実に13年ぶりだと言います。
そういえば、はじめてのオスターマイアーとの出会いは、ちょっと不思議なものでした。アヴィニョンの郊外に、上演時間が何時間もある作品を観に行ったのですが、途中で市内に帰らなければならなくなりました。一人で劇場の外に出たもののタクシーもつかまらず、途方にくれていると、同じく劇場から出て来た人が車に乗ろうとしていたので、声をかけてみました。振り向くとサングラスをかけた大男で、快く乗せてくれました。ドイツ訛りのフランス語を話し、大きなドイツ車を運転している姿を見て、どこかで見かけたような気がして、「アーティストの方ですか?」と聞いたら、「トーマス・オスターマイアーです」とおっしゃって・・・。それから会うたびに、次にいつ日本でできるかな、という話をしたものでした。
壁が崩壊した直後のベルリンで激動の時代に青年時代を送ったオスターマイアーは、1999年に若干31歳で西ベルリンを代表する劇場シャウビューネの芸術監督になりました。日本では2005年に『ノラ』と『火の顔』を上演しています。イプセン『人形の家』の翻案『ノラ』では、ヒロインのノラが幕切れで夫と子どもを置いて出て行くかわりに、夫を撃ち殺してしまう場面が話題になりました。オスターマイアーが古典となった作品を上演するときには、つねに「それが発表されたときの衝撃を今の観客に体感してもらうにはどうすればよいのか」という問いかけがあるようです。
ノルウェー出身のイプセンは、シェイクスピアに次いで、世界で二番目に多く上演されている劇作家です。オスロ大学が6000近いイプセン作品の上演について調査したところ、オスターマイアーはイプセンの演出において最も影響力のある演出家であることが分かったといいます。オスターマイアーがツアーで回った都市では、別の演出家が同じイプセン作品を手がけるケースが多い、というのです。なぜそうなるのでしょう。
オスターマイアーははじめてイプセンの戯曲を読んでみたとき、「なんだ、お金の話ばかりじゃないか」と思ったのだそうです。イプセンの作品が私たちの心に迫るのはまさにそのためだろう、とオスターマイアーは言います。今の社会では、多くの人が今ある地位を失い、収入を失う恐怖のなかで暮らしています。近代以降の社会において、私たちは生まれながらの家族関係や身分や地縁から比較的自由になった反面、仕事とお金に大きく依存して生きています。仕事もお金も、ちょっとした社会的・経済的状況の変化によって、いつ失われるか分かりません。『民衆の敵』も、誰もが抱えているそんな恐怖についての作品でもあります。
はじめて『民衆の敵』を観たのは2012年のアヴィニョン演劇祭でした。今でも、ディスカッションの場面の興奮をよく憶えています。主人公の医師トーマスは温泉町の源泉に工場排水が混入していることに気づき、対策を呼びかけます。町民たちは、はじめはトーマスの研究を賞讃するのですが、その解決のためには数年間温泉を閉鎖し、多額の費用をかけて大工事をしなければならないことが分かると、掌を返したように離れていきます。温泉を閉鎖してしまうと商売が成り立たなくなる、というわけです。トーマスは多くの町民から敵視されながらも、集会を開き、町民に向かって最後の訴えをしようとします。その場面で、観客は町民となり、議論に巻き込まれていきます。東日本大震災のあとだったこともあり、日本ではどんな議論になるだろうと想像させられました。
『ハムレット』、『リチャード三世』、『マリア・ブラウンの結婚』など、記憶に残る作品はいくつもありましたが、昨年アヴィニョンでオスターマイアーと話したときに、やはり『民衆の敵』をやろう、という話になりました。今、日本で上演すべき作品はこれだろう、と思ったのです。でも日本だけでなく、この作品がこれだけ世界中で上演されてきたのは、きっと今、世界中で、経済と民主主義との折り合いが難しくなっていることが実感されてきているからでしょう。
この意味で、オスターマイアーの『民衆の敵』という作品は、ドイツにおける劇場の公共性という理念を体現している作品ではないかとも思います。シャウビューネはもともとは私立劇場でしたが、社会的テーマをもった作品を次々に発表することで評価を得て、今では大きな公的助成を受けて活動しています。シャウビューネに世界的名声を与えたのは、1970年に芸術監督に就任した演出家ペーター・シュタインでした。シュタインがその直前の1968年に上演したペーター・ヴァイス作『ベトナム討論』は、当時の西ドイツ社会全体を巻き込むような事件となりました。劇場が公共の資金をもって運営されているのはなぜなのか。それは、そこがまさに公共性というもの自体、つまり「私たちにとってよいものとは何か」ということ自体を問い直し、議論するための場でもあるからだ、とオスターマイアーは考えているのだと思います。
(参考リンク)
●劇作家のための演劇を目指す 新生シャウビューネのオスターマイアーに聞く(国際交流基金Performing Arts Network Japan、2005年)
●【ポストパフォーマンストーク】シャウビューネ劇場『ノラ~イプセン「人形の家」より』06/20世田谷パブリックシアター(「しのぶの演劇レビュー」、2005年)
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『民衆の敵』
演出:トーマス・オスターマイアー
作:ヘンリック・イプセン
出演:クリストフ・ガヴェンダ、コンラート・ジンガー、エファ・メクバッハ、レナート・シュッフ、ダーヴィト・ルーラント、 モーリッツ・ゴットヴァルト、 トーマス・バーディンク
製作:ベルリン・シャウビューネ
4月29日(日)19:00開演、30日(月・祝)14:30開演
静岡芸術劇場
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